私が運動をはじめたきっかけ
幼少時代から中学生の頃まで、私はいわゆる「運動音痴」であり、ほとんど運動らしい運動をしていませんでした。
このことについては個人サイトとしてスタートしたICO / Fitness Club Onlineのほうにも書きましたが、当時5~1の5段階で評価する体育の成績は万年「2」の状態でした。「1」がつけられるケースが事実上ないことから、体育に関しては最低の成績だったと言えます。
かけっこも遅かったです。確か小学校5年のとき、50m走は12秒弱でした。当然女の子たちにも負けていましたね。
体育の成績が悪い分、図工や美術の成績は抜きんでていたし、私自身これらの教科については特別な自信を持っていて周囲もそれを認めていましたので、そのままいけばまず間違いなく絵に関連した職業に進んでいったはず。
しかしある日、私に衝撃的な出来事が訪れます。中学2年生のときでした。
当時松本零士先生の絵柄にはまっていた私は、宇宙戦艦ヤマトや主要登場人物のイラストをよく書いていました。特に裸の女性キャラのテレサさんばかり書いていたような(笑。その頃、「さらば宇宙戦艦ヤマト」という映画が公開されたので、私は友人、弟と連れだって見に行ったのでした。
ヤマトの同時上映は、かのブルース・リーの「死亡遊戯」でした。なんで壮大なスケールのアニメにハードなアクション映画がカップリングされるのかよく分からなかったのですが、私たちはその死亡遊戯の途中から劇場に入りました(そういえば、冒頭にブルース・リーが重要な役で登場する「死亡の塔」も、半ポルノ映画とのカップリングで困りましたよ。一緒に行った友人は、「死亡の塔はいいから、もう一方の映画をもう一回見ようよ」って言って聞かなかったです)。
するとですよ。すごいんですよ。ブルース・リーの活躍が。あまりのすごいアクションに私も友人たちも、ただただ唖然とするばかりでした。
しかし、そのあとさらなる衝撃が。私たちが見て驚いていたブルース・リーはなんとブルース・リーではなかったのです。最後の見せ場となる塔の中で暴れるその人は、明らかに次元が違いました。この映画は本人が亡くなった後に完成されたものなので、クライマックス以外のアクションのほとんどが代役さんのものだった、というわけです。
この映画が終わってしまったら、次は本当の「目的であった」ヤマトが始まります。でも、このときにはすでに私たちは「早く終われ」モードなんです。映画館に居残って、死亡遊戯を最初から見たかったからです。ヤマトには気の毒なことをしました。
見逃した死亡遊戯の冒頭は、過去にテレビで見た「ドラゴンへの道」のクライマックスシーンでした。コレもスゴかった。
これで脳の中身を全部入れ換えられてしまった私は完全に別人になってしまいましたね。1年、2年と続けてきた絵画クラブをやめ、マラソンクラブに入りました。手に入れたブルース・リーの資料に彼がマラソンの信奉者と書いてあったからです(実際にはマラソンじゃないのですけど)。
ブルース・リーのような体になりたくて、友人のダンベルセットを借りてウエイト・トレーニングもはじめてしまいました。なかなか彼には近づいていかなかったのを覚えています。彼がリアル・ブレアというプロテインを飲んでいたと知って、いろんなスポーツ用品店を回りましたが、当時はどこにいってもそんなものはありません。明治製菓さんのザバスの発売よりも前のことで、唯一、小さなスポーツ店に「試しに輸入してみたよ」というプロテインの袋を見つけることができたのです。
少ないお小遣いで早速買って飲んでみたら、ただの大豆の粉ではないかと思いました。でもいずれブルース・リーになれると飲み続けたらあっと言う間になくなって、あらためてその用品店を訪ねたのですが…。
「いやあ、人気なかったからやめたよ」
って。
次のプロテインにありつけたのは高校生になってからのことで、買ったのは上述した明治製菓さんのザバスでした。これは2つ年下の弟も飲んでいたことを覚えていて、陸上部の彼はあっと言う間に筋肉をつけていきました。彼は私とは逆で、スポーツは何をやらせても学年1、2位です。少年野球などやっていないのに、試合があると駆り出されたりして活躍していたのを覚えています。大学時代には投擲で優勝したみたいなことも聞きました。彼も今はベテランの体育の先生です。
そんな私でしたが、ブルース・リー漬けになった当時、一番重視していたトレーニング・エクササイズは「ストレッチング」でした。
ちょっと長くなりましたが、ちょっと遅めだった私の運動との関わりのスタートについて書いてみました。次回は、私がやり始めたストレッチングのプログラムについて、述べてみたいと思います。
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