禁煙
前回も書きましたように、たばこ税増税に伴い国民の禁煙意識が高まっているようです。必ずしも健康のため、というわけではなく、出費を抑えるためにやむを得ず、という側面を禁煙のきっかけにしているケースも多いと思います。いずれにしても結果的には、健康関連事業に従事する者としては好ましい方向に進んでいるのかな、とは感じます。
ただ、あまりにも極端な方向に進むのはどうかな、と思うこともあります。
先ほど、日本のたばこのパッケージに記載されるたばこの健康被害に関する危険性の表示について、「文字だけのメッセージで未だに甘い」とか「海外だと喫煙が原因で引き起こされた疾患で亡くなった方の解剖写真を載せたりして警告している」といった内容のニュースをやっていました。うーん。私はいささかヒステリックすぎるのではないかな? と思ってしまいます。そこまでしても、まだその製品を作って売っているわけですよね…。こういう表示は購買意欲を抑える意味で非常に有効だと思うのですが、自分のところが作っている「商品」にそんなものを載せなければ売ってはいけないとは…。なにか矛盾を感じます。まあ、そこまでしないと人間の嗜好はなかなか抑えられない、ということでしょうね。
ただこの方法は、日本ではやって欲しくないなあ。こんな写真をあちこちで目にしたくはないです。私は非喫煙者ですし、家族全員がそうですからね。なんでも海外の真似をする必要はないと思います。健康上のリスクを考えると喫煙をしないのがベストだとは思うのですが、リスクを承知で吸いたいという人の自由を極端に制限してしまうのはどうか、とも思います。もちろん、非喫煙者には一切迷惑をかけない、という前提でのことです。
健康上のリスクについて、一つ思い出したことがあります。喫煙と死亡率の関連については、圧倒的多数の研究がその有意性を示しているのですが、わずかですが「有意性なし」を訴える研究結果もあります。そういう結果は珍しいので、多くのメディアで取り上げられて目に付いてしまうようです。最近、たばこと死亡率の問題について喫煙者から「有意性がないことは科学的に証明されている」と指摘されたことがあります。科学的に証明されているという言葉自体があまり科学的ではないと私は思うのですが、かつて大々的に報道された、喫煙者自身に都合が良い試験の結果のみが記憶されていたわけですね。一つのことを分析するためには部分的な理解も必要ですが、やはり全体を見るようにしないとなかなか重要なことが見えてきません。マスメディアの報道に対する姿勢をきちんと見直してほしいところですけど、受け取る側もきちんと防衛線を張っておく必要性を感じます。
禁煙と言えば、1989年にオレゴン州立大学でセミナーを受けたことがあります。フィットネスリーダーズセミナーと銘打たれたツアーだったんですが、参加者のうちかなりの方が喫煙者でした。当時の日本は今ほどポイ捨てにうるさくなく、その方々のうちの一部が、大学内の花壇か何かに吸い殻を突っ込んだままにしてしまう、という行動を取ってしまいました。大学の側は激怒です。すでにアメリカではそういうことをしてはいけないということは当たり前のことだったんですね。
今では日本でもポイ捨て禁止条例などでかなりの地域で罰則が設けられるようになりました。私のオフィスの前も区のアナウンス・カーが走っています。それでも未だに道路には吸い殻が落ちていますが、今回の禁煙の流行がこういったマナー違反を減らしてくれることにも期待したいです。
それに、このオレゴン州立大学の授業の中に「禁煙」に関する講義もありました。女性の先生でしたけど、禁煙をしようとしている人から、喫煙機会を遠ざけるための、いろいろな工夫をまじめに考え、システム化した感じのカリキュラムでした。そんな先生に一人の受講者が「すでに日本ではこんなのが発売されているんですよ」と差し出したのが「禁煙パイポ」(特定の商品名ですが、宣伝をする目的ではありません)。すると先生は驚嘆の表情を浮かべた上で非常に感心し、「その会社に連絡を取りたいので、その商品のパッケージを下さい」といってもらっていました。それからどうなったのでしょうね? 禁煙補助製品としては日本が先行していた、ということでしょうか。
いずれにしても、今回の傾向が単なる一時的な禁煙ブームに終わらず、長く続いてほしいと切に願います。健康上のリスクを減らすことができますし、身体機能が少しでも上がればその人の活動量も上げられる、と思っています。