Archive for the ‘代表のこと’ Category

postheadericon 開脚能力の復活へ

先日「ストレッチング – Stretching」の項で書きましたけど、私の最初の体作りのためのプログラムは「ストレッチング」であったといってもいいと思います。そして、最初に参考にしたのが中国武術の通信教育テキストの中に紹介されていた「真向法」です。

私は30代の後半にさしかかった頃、とある身体操作系のセミナーに参加させていただいたことがあり、ペアを組んでの実技を行ったことがあるのですが、ちょっとタイミングが合わずに右の股関節を痛めてしまいました。これがどんどんひどくなって、股関節のストレッチングも満足に行えないような状況になってしまい、得意だった開脚の能力も徐々に失われて行ってしまったのです。この股関節の調子はまだ万全ではないのですけど、現在の状況まで回復するのに7年ほどかかりました。

若い皆さんだとこれほど時間はかからないかもしれませんが、股関節の障害はとても治りにくいので、絶対に無理をしてはいけません。またペア・トレーニングでは予想以上の力がかかることがあるので、細心の注意を払って行う必要があります。

痛みがかなり収まってきた昨年から、股関節の可動域を復活させるためのストレッチングを再開しています。さすがに、10代のときのようにとんとん拍子に可動域が広がっていく、ということは残念ながらありません。

今年に入ってからは原点に戻ろうと、通信教育テキストの中の「真向法」に改めて着目しました。このテキストの中の真向法では情報が限られていたので、過去に購入していた下記の書籍に記載されたノウハウを、自分のストレッチングプログラムに取り込んでいます。

究極の真向法―一日五分一日爽快 体と心の健康法 (ノン・ブック)

真向法―3分間でできる健康体操

今はすでにもう絶版になっているようですが、リンク先のAmazon.co.jpでは中古での入手が可能なようです。また、私自身は所持していないですけど、その後に出た新しい書籍もあるようです。

この方法のいいところは、シンプルだ、ということです。

まず体操が4つ。それぞれに座法と行法があるだけ。もちろん、いきなりこれをできない人はそこに至るためのノウハウがありますので、全くの初心者の方でも楽しめるカリキュラムになっているのではないかと思います。

中学・高校時代の私はこれらの体操を全て行っていましたが、現在は第2体操が神経を伸ばしすぎる可能性があるために基本的には片足ずつ行っていることと、膝伸展機能(大腿四頭筋~脛骨粗面)に負担をかけてしまう第4体操を省略しています。股関節に関してはこれ以外に前後開脚を加えたりしているわけですが、思った以上に効果が上がっているのを確認できます。特に上段回し蹴り(ハイキック)に必要な動的柔軟性がかなり改善されています。とにかく股関節を痛めてから上段を蹴るのが難しくなってきていたのですけど、昨日立ち木に向かって練習してみたら腰が入って足首が返るようになりました。特に左足ではほとんどそれが出来なくなってしまっていたのですけど、立ち木蹴りで試してみると、左も腰を入れた蹴りが復活してきたことを確認。

とはいえ、一番蹴りの状態が良かった十代後半から二十代前半と、少し飛んで三十代前半のころに比べればまだまだ。あと1年くらいの時間をかけて、関節可動域が最も広かった頃を目指したいと考えています。おそらく蹴りの能力も当時にかなり近づくのではないかという予感があります。

私が現役時代や格闘技エクササイズを中心に教えていた頃のノウハウや、現在再構成したノウハウなどは近いうちにICO / Fitness Club Onlineのほうで公開していきたいと考えています。

postheadericon ストレッチング-stretching

前回書きましたように、ブルース・リーに憧れた私は身体改造を図ることにしました。

当時、ブルース・リーの体に憧れたのは間違いないのですが、最も驚異的に感じたのはその蹴り技です。あの蹴り技をなんとしても真似してみたいと思った私は、柔軟体操を行う必要性を感じました。

本来は空手道道場で技を磨くべきなのですけど、私が住んでいた地域ではそのような場所がありませんでした。そこで私が選んだのは、雑誌の広告に出ていた「中国武術」の「通信教育」(笑。実はこのテキストの中に「真向法」のいくつかの技術が「柔軟体操」として紹介されていました。後で真向法の解説書を入手したときに、通信教育のテキストに紹介されていた技法はすべてが真向法のものではなかったことがわかりましたけど、当時の私にはこれだけが頼り。

最初は、両足の裏をくっつけて股関節の方へ引きつける座法をとったとき、両膝が下がらずがっかりしたことを覚えています。しかし「毎日1mmずつ開いていけ!」みたいなアドバイスが書かれていたので、マジメに続けていたら、1年後にはかなり柔らかくなりました。

そして、高校に進学していよいよ空手道部に入部と相成るわけですけど、中学時代から続けてきた真向法(もどき)によって私の柔軟性レベルは当時空手道部で最も可動域が高い先輩とすでに同等のレベルに達していました。結果、蹴り技の上達は部員の中でも最も速く、また部員の中で一番高いレベルまで達することができたと思います。

ただ、相変わらずの運動神経の鈍さなので上半身の技や型や組み手で登場する技の習得や、柔軟性以外の体力の向上については最も遅かったのが事実。もし、柔軟性に自信がなく、蹴り技すら習得できないような状況であれば、私は3ヶ月も部活動を続けていられなかったでしょうね。

部活動の在籍期間には、当時中学で陸上競技をやっていた弟から陸上競技の専門誌を借りたりしていました。当時としては斬新な筋力トレーニングプログラムが乗っていたり、少し前からはやり始めた「ストレッチング」プログラムが掲載されていたからです。ボブ・アンダーソン氏の著書のブームにいち早く反応したのが当時の陸上界だったと記憶しています。私の柔軟体操プログラムは真向法に加え、ボブ・アンダーソン氏が紹介した「スタティック・ストレッチング(static stretching) = 静的なストレッチング」の手法を加え、より多角化していき、効果も上がりました。高校3年生くらいになると、もう体操部の女子選手と同等レベルともいえる股関節の可動域を持っていたと思います。

20代前半くらいまでの蹴り技は相当自信がありました。いろんな方とスパーリングしたのがきっかけで「テコンドーの強化選手を申し込んでみない?」というような話をいただいたこともありました(そのときに応じなかったことを後悔しています)。こんなこともあって、私の柔軟性を高めるきっかけになった「通信教育」と「真向法」には本当に感謝したものです。

私の蹴り技が最高レベルだったのは30代前半だったと思います。ただ、関節可動域については、全盛期を少し下回るようになっていました。そして、30代半ばに参加したある機能改善の施術セミナー受講時、その実習で若い女性インストラクターとペアでのトレーニングをしたとき、彼女の補助のタイミングと私の動作が合わずに、右の股関節を「グキッ」とやってしまいました。

股関節の痛みでキックも開脚もできなくなり、あっと言う間に私の股関節可動域は失われてしまいました。やはり、ストレッチングを継続することは股関節のコンディションや蹴りのフォームを維持するために重要なものであることを痛感した次第です。

強い痛みはなんと数年間にもおよび、ある程度の股関節ストレッチングができるようになったのはこの2-3年のことです。最近は可動域も少し回復して、ハイキックも改めて打てるようになりました。

このように、コンディショニングとしてはすばらしいストレッチングですけど、従来言われていた準備運動としてのスタティック・ストレッチングは十分に注意した方がいいでしょう。ストレッチングによって筋肉がリラックスしすぎたり、あるいは筋線維(筋繊維)が伸びたままになってしまうことで、実際に動くときに張力が不足し、かえってパフォーマンスを落とす場合があるからです。

また、事前の伸ばしすぎで筋線維が傷つき、練習中や競技中の「肉離れ」「筋断裂」を助長する可能性もあります。

このようなことから、最近ではストレッチング不要論もささやかれたりしますけど、「練習(practice)」だけでは柔軟性の維持、向上は正直難しいです。「練習だけで得られる筋力は十分ではないため、筋力トレーニングを行う」というのと同様、高度な関節の可動域が求められるスポーツでは、ストレッチングは不可欠だと思います。

従来知られた方法に何か「ネガティブ」な要素が見つかると、それを叩いて話題性を高めるのはいいのですが、だから「不要」とするのはちょっと極端かな、と思います。私は「極端さ」を好まないので、自分に必要なものをバランスよく取り込む方を選びます。

今の私はスタティック・ストレッチングだけでなく、弾みや反動をつけるダイナミック・ストレッチング、受け身のパッシブ・ストレッチングなど、いろいろなものを組み合わせて行っていますよ。筋肉だけでなく、関節を刺激するようなリズミカルな動作も加えたりしていますが、ストレッチングを初めてからの数十年、プログラムは実はほとんど変わっていないことに気づかされたりもします。

柔軟性に関心を持ったきっかけであるブルース・リー先生、通信教育テキストの中の「真向法」には感謝しています。

postheadericon 私が運動をはじめたきっかけ

幼少時代から中学生の頃まで、私はいわゆる「運動音痴」であり、ほとんど運動らしい運動をしていませんでした。

このことについては個人サイトとしてスタートしたICO / Fitness Club Onlineのほうにも書きましたが、当時5~1の5段階で評価する体育の成績は万年「2」の状態でした。「1」がつけられるケースが事実上ないことから、体育に関しては最低の成績だったと言えます。

かけっこも遅かったです。確か小学校5年のとき、50m走は12秒弱でした。当然女の子たちにも負けていましたね。

体育の成績が悪い分、図工や美術の成績は抜きんでていたし、私自身これらの教科については特別な自信を持っていて周囲もそれを認めていましたので、そのままいけばまず間違いなく絵に関連した職業に進んでいったはず。

しかしある日、私に衝撃的な出来事が訪れます。中学2年生のときでした。

当時松本零士先生の絵柄にはまっていた私は、宇宙戦艦ヤマトや主要登場人物のイラストをよく書いていました。特に裸の女性キャラのテレサさんばかり書いていたような(笑。その頃、「さらば宇宙戦艦ヤマト」という映画が公開されたので、私は友人、弟と連れだって見に行ったのでした。

ヤマトの同時上映は、かのブルース・リーの「死亡遊戯」でした。なんで壮大なスケールのアニメにハードなアクション映画がカップリングされるのかよく分からなかったのですが、私たちはその死亡遊戯の途中から劇場に入りました(そういえば、冒頭にブルース・リーが重要な役で登場する「死亡の塔」も、半ポルノ映画とのカップリングで困りましたよ。一緒に行った友人は、「死亡の塔はいいから、もう一方の映画をもう一回見ようよ」って言って聞かなかったです)。

するとですよ。すごいんですよ。ブルース・リーの活躍が。あまりのすごいアクションに私も友人たちも、ただただ唖然とするばかりでした。

しかし、そのあとさらなる衝撃が。私たちが見て驚いていたブルース・リーはなんとブルース・リーではなかったのです。最後の見せ場となる塔の中で暴れるその人は、明らかに次元が違いました。この映画は本人が亡くなった後に完成されたものなので、クライマックス以外のアクションのほとんどが代役さんのものだった、というわけです。

この映画が終わってしまったら、次は本当の「目的であった」ヤマトが始まります。でも、このときにはすでに私たちは「早く終われ」モードなんです。映画館に居残って、死亡遊戯を最初から見たかったからです。ヤマトには気の毒なことをしました。

見逃した死亡遊戯の冒頭は、過去にテレビで見た「ドラゴンへの道」のクライマックスシーンでした。コレもスゴかった。

これで脳の中身を全部入れ換えられてしまった私は完全に別人になってしまいましたね。1年、2年と続けてきた絵画クラブをやめ、マラソンクラブに入りました。手に入れたブルース・リーの資料に彼がマラソンの信奉者と書いてあったからです(実際にはマラソンじゃないのですけど)。

ブルース・リーのような体になりたくて、友人のダンベルセットを借りてウエイト・トレーニングもはじめてしまいました。なかなか彼には近づいていかなかったのを覚えています。彼がリアル・ブレアというプロテインを飲んでいたと知って、いろんなスポーツ用品店を回りましたが、当時はどこにいってもそんなものはありません。明治製菓さんのザバスの発売よりも前のことで、唯一、小さなスポーツ店に「試しに輸入してみたよ」というプロテインの袋を見つけることができたのです。

少ないお小遣いで早速買って飲んでみたら、ただの大豆の粉ではないかと思いました。でもいずれブルース・リーになれると飲み続けたらあっと言う間になくなって、あらためてその用品店を訪ねたのですが…。

「いやあ、人気なかったからやめたよ」

って。

次のプロテインにありつけたのは高校生になってからのことで、買ったのは上述した明治製菓さんのザバスでした。これは2つ年下の弟も飲んでいたことを覚えていて、陸上部の彼はあっと言う間に筋肉をつけていきました。彼は私とは逆で、スポーツは何をやらせても学年1、2位です。少年野球などやっていないのに、試合があると駆り出されたりして活躍していたのを覚えています。大学時代には投擲で優勝したみたいなことも聞きました。彼も今はベテランの体育の先生です。

そんな私でしたが、ブルース・リー漬けになった当時、一番重視していたトレーニング・エクササイズは「ストレッチング」でした。

ちょっと長くなりましたが、ちょっと遅めだった私の運動との関わりのスタートについて書いてみました。次回は、私がやり始めたストレッチングのプログラムについて、述べてみたいと思います。